J1浦和レッズでプレーしている、DF
マルクス闘莉王選手。あの闘莉王が
J2水戸ホーリーホックで一年間プレーしていたのを知らない人は多いと思う。今回は、水戸ホーリーホック時代の闘莉王について書いています。
闘莉王は2003年にJ1サンフレッチェ広島(当時はJ2)から、レンタル移籍で水戸に入団。
私は2004年から水戸ファンになったので、ここからは雑誌、インターネット、水戸ファンから得た情報を元に書いていきます。
闘莉王は広島にいたとき、トラブルメーカーだったみたい。それで、広島が闘莉王を放出しようとして、入ったのが水戸ホーリーホック。水戸以外から誘いがなかったみたいです。
水戸は年間予算約3億円で運営しているチーム。Jリーグチームで一番予算が少ない。
水戸にいってほしいといわれたときに、すごいがっかりしたと思う。水戸は練習環境など、条件が悪いから。
当時の水戸は練習場もなくて、いろんなところを転々として練習を行っていました。
地面がでこぼこしていて、パスがうまくできないところで練習をしたこともあったようです。そんなところでも、闘莉王はうまくボールをコントロールしていました。技術力はこの頃からいいものをもっていたみたい。
あと、闘莉王はよく他の水戸の選手と口けんかをしたみたい。それを、監督が聞いてあげて仲直りさせる。監督はたいへんだったと思う。監督の名前は前田秀樹。前田さんのことについては、別の機会に書かせてもらいます。
水戸の選手と仲が悪くても、サッカーの才能がある選手なので、試合に出場することができました。42試合出場、10得点。DFで10得点はすごいと思う。
闘莉王はボールをもらったら、一人で攻めて行くようなプレイスタイルでした。今とあまり変わらないかもしれない。闘莉王みたいな超個性的なプレーヤーがもっと出てきてほしい。
闘莉王は水戸で出場機会を与えられてから、急成長したようです。選手を育てるには、試合に出すことが一番だと思う。シーズン中に他の水戸の選手と連携がよくなってきたみたい。イライラが解消されて、本来の力が出せたと思う。
最終的に水戸での活躍が認められて、J1浦和レッズに移籍することになりました。監督のアドバイスで浦和に行くことにしたみたい。7位/12チームは水戸ホーリーホックが誕生してから、最高の順位でした。
2003年の水戸の活躍を知ったことが、私が水戸ファンになった理由の一つなんです。
私と水戸を結びつけたのは闘莉王だと思っている。ありがとう闘莉王!
以上。sakahiro


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コメント
こんにちは!
素晴らしい記事です!!ブログだからこそ知れる貴重な情報だと思います。私もsakahiroさんのような記事を書けるように頑張っていきたいです。
闘莉王は水戸で苦労しながら日本代表まで上がっていったんですね。
高校時代(渋谷幕張高校時代?)には、やる気のないプレーをした先輩を怒鳴りつけるぐらい真剣にサッカーをしていたようです。先輩を怒鳴りつけるぐらいの大物だったんですね。
帰化して五輪代表に選ばれた闘莉王は、自分が国を代表する選手であることに強い責任を持ってプレーしていたようです。もちろん、他の選手もそういった思いがあったでしょうが、闘莉王は国の代表というものに他の選手よりもとても強い思いがあったようです。素晴らしい選手ですよね!
今後も水戸ホーリーホックから日本代表に選ばれる選手が出ることを期待しています!早くJリーグが始まって欲しいですよ~!
来季からは水戸ホーリホックの順位も気にしていきたいです!
この記事を書いてくださったことに感謝です!
コメントの件、了解しました!